2015年2月24日火曜日

終わりと始まり

1社から複数の受注をもらうことを身上としていたころ。受注して仲よくなったのに、ある時、突然、担当者不在が続き、話ができなくなった会社があった。もしや居留守では?と思い、直接訪問。

曇りの日、ひと気のないオフィス、うず高く積まれた書類の山、その奥に人がいた。とてつもなく長い距離があったような気がしたけど、ほんの数メートルだったと思う。

「○○と申しますが、□□さんはいらっしゃいますか?」
「□□は、辞めました」
「後任の方は?」
「後任はいませんよ。もう従業員はいません。私が社長ですが、会社を清算してるんです」

一瞬、言葉が見つからなかったが「次の事業のご参考に」と言いつつ、当時売れ筋だったサービスのパンフレットを渡して、帰ってきた。
受け取ってくれたけど、残酷なことをしたとも思う。

もうひとつ、忘れられない会社。

紹介で受注して、何から何まで申し込んでもらった新規立ち上げの会社。でも長くは続かなかった。

「解散することになりました」

今ほどメールの割合が高くなかった時代、その人は、電話で言った。

それから五月雨式に、丁寧に記入された解約申込書が届いた。最後の解約申込書の処理を確認すると、彼は言った。

「今度は私がいなくなります」

思い出すたび、じんわりこみ上げるものがある。どんなかたちであるにしても、引き際、去り際は、大切。自分自身を今までを振り返り、反省もして、引き際はキレイにしようと思う。そうすれば、新しい次のこともすんなり始まっていくと思うから。
仕事は時に孤独なんだそう。ネコもたまに孤独を感じます。例え次の瞬間、ネコじゃらしに向かって爆走するにしても(ミッケ)


2015年2月17日火曜日

川崎

ほんの2か月ほど、川崎の港寄りの住宅地で、個人宅の飛び込み営業をやったことがある。1日100〜150件も飛び込みまくる。ヘヴィーというか、前時代的というか、自分でやっておいて言うのもなんだけど、ビミョーなお仕事でした。

比較的高齢化しているエリアだったこともあり、時間が十分にある方も多く、いろ〜んな話をしてくれた。借金の額から(これは断り文句ね、お金ないよっていう)、家庭内の事情、心のつぶやき、愚痴、エトセトラ、エトセトラ。

奥さんを亡くした70代半ばとおぼしき男性は、中国から来た女性と、まだ中学生くらいの彼女の息子と同居。第二の人生がいかにすばらしいか、熱をこめて語った。

「結婚していない」って言ったら「そりゃ、気が強くて、頑固ってことだ」と、いともあっさり返ってきた。ここまでハッキリ言った人はいなかったけど、当たってるわ。

港町、下町の開放的な気風もあるだろうし、行きずり、二度と会わないと思うから、言いたいことが言えるんだろう。

複雑な思いを詳しく話してくれた女性は、たまたま2度めに会ったとき、やや放心状態で言った。「何で、あんなこと話したのか、自分でもわからない」。

大丈夫、全部忘れました。

いろんな人がいろんなコトを話してくれるけど、全部抱えてたら重過ぎるもんね。

「誰か来たら、あげることにしてるのよ。宅急便のお兄さん、営業の人たち。頑張ってる人にあげてるの。はい、どうぞ!」と言われてもらった缶コーヒー。

うれしかったな。リポビタンも、もらった。リポビタンは飲んだけど、缶コーヒーは、今でも部屋に飾ってある。忘れちゃいけないことを、忘れないように。

2015年2月10日火曜日

靴を脱ぐ日本 靴を脱ぐ会社

イギリス人の友達の実家に行ったとき、彼女が言った。

「日本では靴を脱いで、家に入るでしょ? 家の中をキレイに保つための素晴らしい習慣だって感動したわ。イギリスに帰ったら試そうと思ったけど、結局今まで通り。理由はよくわからないけど」

スペインでも家の中では、当然靴のまま。ホームステイ先のセニョーラは、洗濯機から出した、洗いたての洗濯物をごく自然に床に置いた。

「靴を履いたまま歩く床の上に、洗濯物を置くのはキレイじゃない」と彼女に言ってみたら、反撃された。

「あたしは磨いた床の上に、洗濯物を置いてるんだから、ここは綺麗なの。綺麗なのよ!わかった?」

スペイン人は、同じことを重ねて言うことが多く、最後に「わかったか?」と念を押す慣例も手伝って、怒っていなくても、怒っているように聞こえる。ま、綺麗好きなセニョーラとしては、譲れない一線だったんだろうけど。

日本で暮らしていると当たり前の「靴を脱ぐ習慣」。

このとき思った。理屈としてキレイかどうかではなく、理屈抜きでゆったり過ごせる自分の家では、靴を脱ぐ。つまりテリトリーの意味を持つのではないかと。

大規模じゃない企業には、靴を脱ぐことがある。ものづくり系の会社、家族経営の会社、友人同士で立ち上げた会社、そしてワンマン社長の会社等々。

もちろんイコールではない。ワンマン社長の会社でも靴を脱がないこともある。そこがおもしろいところ。

靴を脱ぐ会社は、会社に家の要素を求める傾向があるような気がする。

そういえば、昔々よく暴走族が「土禁」のクルマに乗ってた。紫のカーペットが敷き詰められた車内の風景が、ふと蘇ってきたりして。


ママは靴の中入った子猫の写真を載せたかったらしい。でも靴の中に入るには成長し過ぎ。靴の上に乗ったら、靴が見えないし(^^;;
ってなわけで、靴箱に入ってみました。大きさ的にも余裕なのにゃ(^^)v(ミッケ)

2015年2月3日火曜日

!舞い上がる!


「三つ子の魂百まで」を例に出してしまうと、じゃあどう努力しても、挑戦しても、ほとんど意味がないんじゃない?って話になる。

ある高名な評論家は「人間は35歳を過ぎたら変わらない」と断言した。

「人生で勝利を収めるために必要なのは、自分に向いていることを早い時期に見つけ、その分野のエキスパートになることだ」と言ったのは、とある大学教授。彼も若くして、教授になった。

つまりスマートな人は、身を結ばない努力はしない。身を結ぶかどうか、即座に判断する。

「努力しなきゃできないことは、所詮自分に向いていないので、努力はしない」と言い切った人もいたっけ。

で、舞い上がりやすいあたしの場合。「今だ!ここで冷静沈着になるのだ」と気づいても、ついつい間違える。

小さなことだと、お客さんから申し込みをもらい、帰るときに出口ではなく、自信たっぷりにお手洗いに向かって歩き出すとか。押印が5カ所あるのに3カ所しかもらわず、再訪したのに4カ所しかもらわず、再々訪になったとか。

特に商談が終わった後に方向感覚を失うっていうのはよくあって、オフィスの大奥に入っていこうとしたり、別の会議室に踏み込みそうになったり。

ウケ狙いではなく、いわゆる天然ボケなので、けっこう笑いが取れて、雰囲気が和むこともある。まあ、それがキャラなら、開き直らない程度に大切にしようと思うようになった。

天然ボケから「天然」が削除されない程度に。

ボケっとしているといえば、あたし。日々ひたすらボケっとしてましゅ。舞い上がるのは、ネコジャラシ対決!(ミッケ)